【自己紹介】こんにちは!福田あかりです 2/4
こんにちは。
代表の福田あかりです。
自己紹介の続きです。
家族が益子に引っ越したとき、私は1歳になる頃でした。
窯業技術支援センターで2年学んだ父は自分の作業所を構えると、父は売れる売れない関係なく、頑固に壺や花瓶、大皿など大物を作り続け、母が日常使いの食器を作って売り上げに貢献していました。
父は作業所が同敷地にある自宅が好きで、外出はほとんどしませんでした。
だから外へ出てする学校関係の役割、子どもの習い事などすべて母が担っていました。
父はいつも作務衣スタイルで過ごし、外出するときでも普段着の粘土で汚れがちな作務衣を着、免許証は持たず手ぶらでちゃっかり助手席に座るのでした^^ だからいつも母が運転していました。
そうして夏に海水浴に行った際には、綺麗な仕立ての作務衣を着てきて、そのままじゃぶじゃぶ水の中に入るというー。
娘に「キリンはキリンキリンて鳴くんだよ」、と教えたり。
「飛ぶ練習をすれば人間も飛べる」と言って、娘に飛ぶ練習をさせたり。
食事中に「あれがなかった」、と父が言うけれど、実は目の前にあったり。
口癖は「あちゃー」と言って額に手を当てる動作(*´◒`*)。
だからと言って行動が変わることなく。失敗してもゆるゆるした人でした。
母が父の態度にそんなに腹を立てることはありませんでしたが、たまにもう腹が立った!何にもしないから!とストライキを起こして寝込むことがありました。
父は本当に心配そうに「体調大丈夫かなぁ」と言うので、あまりの空気の読めなさに娘の私はポカンとしたものです。
ただこの通り、トンチンカンだけど家族への愛情が一貫してあった父でした。
益子町では陶芸家の知り合いとのネットワークが濃い生活でした。
小学校に入るまでそうした大人としか私は関わっていませんでした。
学校に入った時に地域で農作業主体の生活を営む家庭で育つ友達の家に遊びに行って、いろいろなことにびっくりしたことを覚えています。
そして地元のおじちゃんおばちゃんの言葉が訛っていて何を言っているのか全くわからず、優しく声をかけてくれるのですが結構、恐怖でした。
なかなか地元に馴染めない私がいました。
私の親戚もぶっ飛びで、寛容で懐大きい方が多いし(でこぼこさんに寛容なでこぼこさんだろうと)、両親の仕事関係でも周りはでこぼこさんだらけだったということです。
つまり私もでこぼこさんの1人なわけです。
それで小中学校時代も関わりににくさや自慢して嫌なやつ、言葉がきついといったことがあったでしょう^^
小学生の時に家を新築した時に転校したり、中学生の時に痴漢にあって(誘拐されずに済んでラッキーでした)プチトラウマチックな体験もあり、中学生の時はひねくれていたり、ネガティブ思考で友達が付き合いにくいと感じていただろうと思います。
小・中学生の時、私は人間関係の怖さから本ばかり読んで本の虫でした。
中学校の帰りに自転車で本を読みながら帰り、駐車している車に乗り上げたこともあるほどでした^^
田舎だったからそんなことをしても交通事故にあわずに帰ってこられたのです。
(続く)