【自己紹介】こんにちは!福田あかりです 3/4

高校では合唱部に入っていて、「ローマは1日してならず」を合言葉に、毎日朝昼夕と体育会系並みに練習があり、さらにバイトをしていました。

思春期は自分のアイデンティティを実感できず、私は何者なのだろうか? 相手が何を考えているかわからない、など私自身が空気が読めないところもあって、阪神淡路大震災後にフューチャーされた心のケア、心理学に関心を持ち大学で心理学を専攻するに至りました。

母の実家が兵庫県でしたので、関西に妙に憧れて大学受験しました。

神戸の甲南女子大学に進学後、就職できるとか、会社で自分が働くなんて全く想像できず、臨床心理士への関心という当初の気持ちもあって大学院へ進学することにしました。

修士課程2年の後半に父が癌で急逝し、怠惰で修論が書けてなかったこともあって、もう一年在学しました。

在学したところで修論の質はほとんど変わりませんでした^^

私は出生時も、約3週間ほど出産予定日を遅れてしわくちゃで生まれてきた経緯があります。

社会に出ることも私にとっては恐怖で、なかなか学校から出られませんでした。

時期が来てしまいどうしても外に出なければなりません。

大学の近くで就職しようと考えていましたが、1人になった母のいる益子に戻って就職することになりました。

ゼミの先生からは「臨床家に向かない」という餞けをいただきました^^

私もその通りだと思いました。

栃木県に戻り、運よく栃木県発達障害者支援センターの非常勤職員に採用されました。

平成17年(2005年)4月に発達障害者支援法が施行され、栃木県でも発達障害者支援センターを設置しなければならかなったのです。

そこへすっぽりと収まってしまったのです。

ここでは、栃木県内では発達障害について臨床心理士としては第一人者とも言える秋場美智子先生と、WISC-Ⅲの日本語版をつくられた服部美佳子先生がいらして、なんと発達障害についての県内では先端的な取り組みを学ぶことができましたΣ(・□・;)
(服部美佳子先生はその4年後?にご病気で急逝されました。貴重な時間を割いていただいたことを思うと、教えていただいたことを生かすことが私の使命であると感じずにいられません。)

非常にラッキーなことでした。

7月に開所した時に新聞報道があり、相談件数はめちゃくちゃ多かったです。

知識の面でも臨床でも鍛えられました。

ここで私はWISCの検査を年間60人とか、もっととったのでしょうか。
検査検査の毎日でした。
報告書の書き方もきっちりご指導いただいて、言葉と向き合い丁寧なトレーニングを受けました。

ここでの4年間のトレーニングで、ペアレント・トレーニング・プログラムも習得できました。

もともと大学は実験系で実験実験でしたし、発達支援での検査から見たてるということは、私の臨床の枠組みを作ってくれました。

そして5年目は同じとちぎリハビリテーションセンター内での幼児期の療育指導をする「病院リハ・心理」へ異動しました。

幼児期のお子さんに定期的に会うことによって課題を実施することは発達のプロセスを見る力を育ててくれました。

ただ体は結構、疲労感いっぱいで休日は頭痛で寝込んでいることが多かったです。

もっと療育の仕事を続けたかったのですが、県職員の非常勤の仕事は5年間までなので、またもや外で仕事を探さねばなりません。

この時には自信がついて、県外でもどこでもここという場所に根を張って子どもの成長を10年、20年と長期で見ていくぞ、と思いました。

県内ではそうした仕事が見つからなかったのです。

すると、ありがたいご縁でA市で心理職を探しているという話をいただきました。

びっくり!運のいい出会いでした。感謝🙏

(続く)

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